復活です。
なぜかといいますと自分にとっての大発見となりましたので…。
自分のために書かせて頂き残していこうと考えました。
でも、誰に見てもらってもかまわないので…。
ここに書き残します。
新たな気づきを頂戴しました。
その洗礼は突然来ました。
以前から要注意していた人物がいたのですが、この2名がやらかしました。ある意味、社会的地位のある人間として許しがたい行為です。しかし、それを立証するものがありません。日本という法治国家において物証がなければあるいはその事実を立証しなければ民事であろうと刑事であろうとどうしようもないのです。
それがたとえ守秘義務を課せられた仕事であろうと口頭ではどうしようもありません。
僕は彼らに謝罪を求めようと思いましたが、立証できなければ何に謝罪するのか明確ではないのです。否認すればそれでOK!守られているのです。
で考えました。
@彼らはなぜ今回のような卑劣な行為をしたかったのか?
@の答え(推測)
まず、彼らにとって僕はあまりよく思えない存在だったのでしょう。
だから卑劣な行為をしたかった。いや、最初はそんなことはなかったのかもしれませんがどんどんエスカレートしていき、もう歯止めもなくなってしまったのでしょう。
初めて悪い事をするときは誰でもビクビクするはずです。しかし、慣れてくれば罪悪感さえも消失してしまうのでしょう。
悪い奴だから、自分の気にそぐわない奴だから、気に入らないやつだから。そんなところからエスカレートしたのだと思います。
そして、それに対して僕は虫をしました。自分の生活の中から彼らの存在を消しました。それが彼らには無視されているのですから余計に過激になっていったのでしょう。彼らの傲慢、自惚れはいつかほころびを見せ始めるでしょう。できれば今回そうしたかったのですが、いつか、それは必ずやってきます。それを僕がする必要もありません。そう、あえて僕がさらに妬みと僻みの対象になる必要はないのです。そういった意味では僕は「ツイている」。有難いことです。人間だれでも勝ち逃げしたいものです。しかし、負けて逃げれば相手に妬みや僻みを受けることもありません。
だからそれでいいのです。人の負の気持ちを頂くことはありません。
Aそして僕はなぜ彼らに謝罪を言わせたかったのか?
Aの回答
それはある意味僕の「執着」ではないでしょうか?そして僕の「自惚れ」だとも感じました。
「自分の過ちに気がついてほしい。」という気持ちは彼ら自身が気がつきたくないというところではいいおせっかいです。そして、それを気がつかせたところで「僕が間違っていた。有難う!!」とでも平伏させて何の得にもなりません。にもかかわらずそれをなぜ求めるのか?それは僕の優劣感なのでしょう。「正義は勝つ。悪は滅びる。」的な発想とも言えます。
@でも書いたようにいつか因果応報で彼らには報いが必要となります。
僕が彼らに気づかせようというのは恐れ多いことです。彼らにはそれぞれ気づかなければいけないタイミングで適切なものが帰っていくはずです。あえて僕がそれを何とかしようと考えること自体が自惚れなのです。
このことから一つの答えが出てきました。
それは
人の失敗を邪魔する必要はない。
失敗をするから成長に繋がるのであり、自分の歩きたい方向に歩いているのをあえて他人が変えるのは当事者の意思を尊重していない。
換言すれば人は落とし穴(失敗)に落ちて成長したいから歩いているのだから落ちないようにとアドバイスをしてはいけない。
必要なのは落ちた後どうすれば這いあがれるのか手を貸すのではなく知恵を与えて痛みを共有することが重要
ということなのです。
横柄に取られるかもしれませんがあえて書きます。
僕は頭の回転が速いです。
ですから人が理解する時間よりも早くその先の展開を読んでしまいます。
大体それは正しいのですが、当事者は先の答えを見せられたら何ともつまらなくなってしまいます。
言い方を変えれば自分で映画を見たいのにそのストーリーを言われてもうれしくとも何ともないですよね。
ださうの映画でも実際に見てダサくの映画とは何ぞやを知るからこそ、いい映画と悪い映画の区別もつくようになります。
でも、人は実際には愚かな稚拙な存在ですから早く答えを求めたがります。恙ない人生を送りたいがためにマニュアルをほしがるものです。人様が書いたマニュアル片手に生きることはできません。その人のコピーになれても真に輝く自分自身ではないのです。
メッキはいつかはがれます。あのはがれた無念さはいつみてもみじめです。
答えがわかっていても黙って見守ってあげる。手助けを求められてから少しアドバイスを与えればいいのです。
異常、長々と書きましたが、プチ復活でした。
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